チューニングショップオーナーの大坪義明

大坪義明が経営するカスタムカーチューニングショップは常に繁盛しています。彼は元々地元の自動車整備工場で働いていたのですが、35歳の時に自動車好きが高じてついにチューニングショップをオープンさせるに至ったのです。そんな大坪義明の元には彼を慕う大勢の若者や車好きが集まっています。

■整備士とレーサーという顔

大坪義明は自動車工場の整備士として働きながらカーレースの大会にも出場していました。自動車競技というのはレースに限らず多額のお金が必要となりますが、彼は成績も優秀だったため複数のパーツメーカーが彼のスポンサーとなっていたのです。
大坪義明は実力こそあるレーサーでしたが、周りは半分本職のようなレーサーばかりのため毎回苦渋を飲まされていました。大会で常に上位に食い込むものの入れても3位というありさまで、なかなかトップに躍り出ることはできなかったのです。
そんな大坪義明は自分のペースでレースに出たいという気持ちを強くし、結局自動車整備工場を退社、今のチューニングショップをオープンさせるに至りました。

■自動車競技の楽しさを広めたい

大坪義明は自動車競技の楽しさを広めるという活動も行っています。そのため、お金があまりないという若者の自動車をチューニングした際にも「お金はある時に少しづつ払えばイイよ」と言い含めていたのです。
自動車のチューニング費用というのは基本的に殆どがパーツ代ですから、当然それは大坪義明が毎月支払うことになります。彼は決して裕福ではありませんし、あまり経済的に裕福でない若者がメインの客層ですからお店もあまり利益を上げてはいませんでした。
それにも関わらず彼は訪れる全ての若者に同じような感じで接していたのです。そんな彼の優しさや人柄に心を打たれてまた彼のもとには人が集まる、という連鎖が起きていました。

■困っている人を放っておけない

大坪義明の性格を一言でいうと「困っている人を見たら放っておけない」ということです。彼は重い荷物を持ったお年寄りが横断歩道を渡ろうとしていたら必ず助けようとしますし、階段を上っているお年寄りを背負って上るということも多々ありました。
また、困っている人間だけを助けるのではなく捨てられている犬や猫を見かけては積極的に仲間うちに声をかけ、拾ってくれる人を探していたのです。お人よし、と言われることもありますが、そんな彼のもとにはいつも大きな人の輪ができていることは言うまでもありません。

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